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転職活動について思うこと

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2月頭、ようやく転職先が決まった。
某企業の広報担当。
けっこう大きな会社に拾われたので正直、ビックリしている。
福利厚生、給与、業務時間等々、待遇は文句なし。
とくに給与面はドカっとアップ。
業務内容も面接で聞いた限り、これまで培ってきたスキルを
しっかりと生かせるものだ。

まだ、働いていないので不明確な部分もあるが、
現時点では転職は成功したと言っていいだろう。
とてもうれしい気持ちだ。
都内勤務となるので、すでに転居先を探している状態だ。

僕がここまで来られたのは、どうしてだろう。
考えてみるとやはり、
転職を決めた時から今に至るまでやってきたこと、
起こった出来事などが
自分自身を大きく成長させてくれたからだろうと思う。
楽しいこともあったし、イヤなこともあった。
しかしそれらがなかったら、今自分はここにはいない。
そう言い切れる。

そんな訳で今回は、
転職活動の振り返るとともに
僕がどんなことを得たのか、簡単に書いてみたいと思う。
誰のために、とかではなく
単純に自分が、今後のために今の気持ちを残したいと思ったのだ。

☆転職のきっかけ
前職の職場との出会いは、3年前の転勤。
「給料据え置きで交通費も出さないが、行ってくれ」などと
メチャクチャなことを言われて最悪のスタート。
転勤先は、これまでの勤務先と仲が悪く
転勤後即「スパイ」などと言われる。
社内も信じられないくらい空気が悪く、驚く。
給与もひどく、とてもではないが一人暮らしなどできず
車で1時間半かけて通うことになる。

それでも「得られるものがある」と頑張る。
確かに、得たものは多い。
今の妻との出会い、一緒に頑張れる同世代の仲間、
これまでやったことのなかった種類の仕事。
だが、他があまりにも壊滅的だった。
平気で深夜になる業務時間。
最初は残業代が多少出ていたが、
なぜか途中からすべてサービス残業に。
午前2時までいても、定時で帰ったのと同じ扱い。

休日になると、100%に近い確率で朝から電話がかかってくる。
内容によっては長時間の応対が必要で、
気づいたら半日かかっていたなんてこともザラ。
ひどいときには出勤の必要が出てしまうこともあり、
もちろんサービス扱い。

そして給与は最悪。
役員に取り入っている社員が昇進するが
そうした社員は、ほぼ全員無能で仲が悪く
「あの人とあの人は一緒に仕事しないから自分がやるしかない」と
結局自分が仕事を肩代わりすることが何度あったことか。
肩代わりした仕事はすべて職位付き社員がやったことになり
こちらの給与が上がる見込みはない。
それについて抗議すると「大人げない」「和を乱すな」などと
意味不明なことを言われる。
結局、仕事をきちんと回せる人たちが深夜まで頑張り、
無能な人たちがかなり早く帰る、という構図に。
それに嫌気がさし、デキる人がどんどん辞めていく。
春に5人が退社し、命の危機を感じるようになる。

ともあれ。そんな生活をしていて、保つはずがない。
結婚したこともあり、昨年の春「そろそろだな」と感じる。
転勤前の環境が非常に良かったので、
すごく葛藤した。
「いつか戻れるかもしれない」
「戻ることができれば最高の生活が戻ってくる」
「頑張れば道が開けるかもしれない」
そう思って頑張った時期もあった。

だが、すでに給与面でとっくに破綻しており
深夜まで働いているのに家計が赤字という状況に。
「もう、なんのために仕事してるかわからん」と悩んだ結果、
「だったら、もう少しいい給与のところ、探してみるか」と決意。
昨年のGW開け、退職届を提出。
引き留められたが(便利な人間がいなくなるのだから当然だ)、
固辞して9月退社が決定。
友人から「おまえ、あの会社で粘りすぎだよ」と言われ、少し安心する。

☆転職活動のスタートは、最悪
スタートを切るため、あるエージェントに協力を依頼する。
しかし、返ってきた返答は
「退職はお辞めになった方がいいと思います」。

もう、退職決めたんだけど……。
とくに資格を持っていないため、苦労すると思ったようだ。
ただ、特殊な業界にいるので、ふつうとは判断のされ方が
ちょっと違うのかもしれない。
超大企業の名前が一応付いているので、
辞めると言う自分がおかしく見えるのかもしれない。
そう思っていくつか、受けてみる。
この時点では群馬を離れるという気持ちはなかったため、
地元で業種違いの職場をいくつか受ける。
しかし、面接は最悪。
自分の話を聞いてもらえる状況にすらならない。
エージェントを頼るのを辞め、職安に駆け込むも
同じような対応を食らう。
「なぜだ!? ブラック企業で死ねというのか!?」と葛藤する。
(今思えば、ブラックな会社での業務を体験しているのは自分なのだから、
その人たちの言うことなんて適当に近いものだと考えるべきだが……)

そうこうしているうち、夏に義父が急死。
それどころではなくなってしまう。

☆離婚の危機
義父のことがあり、妻がメンタルのバランスを崩す。
僕は夏以降、就活そのものにマイナスイメージを持ち、
就活に消極的になってしまう。
(ある程度はやっていたが、うまくいかず)

そのあたりのことがきっかけで大きなケンカになり、
とうとう「離婚する」と言われる。
僕自身もショックでどうにもならなくなり、11月、実家に帰省。
間の悪いことに、この時期に祖父も亡くなり、
秋は精神的に強くしおれたまま過ごした。

この時期、会社の送別会が行われたのだが
かなり強烈なイヤミを言われる。
ネットで会社が誹謗中傷されて問題になったらしく、
それを自分がやったと断定されてしまったのだ。
普段の自分なら改めて書いてやるくらいの気概はあるが
この時ばかりは「やってねーよ……」と落ちこむ。
それにしても送別会で言うようなことなのか。
なぜそんなことができるのか理解に苦しむ。

後日その「誹謗中傷」とやらを見たが、
そこには本当のことばかり書かれていた。
「中傷」などではない。本当のことだ。
本当のことを言うと、人は怒るのだ……。

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☆転換点
ここまで書いてみて、最悪だなと思った。
まさしく絵に描いたような、最低な状況。
あのまま、苦しんだままでもいいから
職場にいるべきだったのか。そう思ったこともあった。

ただここが、今回の大きな転換点になった。

ひとしきり落ち込んだあと、
会社や自分への怒りが猛然と湧いてきて
ようやく「乗り越えてやる……!」と、本気で思えたのだ。

「あの職場を抜け出したい」という、ちょっとマイナスよりの気持ちが、
「いい環境を掴み取ってやる!見ていろ!」という気持ちに変わったのだ。
もちろん、転職活動する中でそういう気持ちになろうとはしていた。
しかし、今思うとこの瞬間まで完全になりきれていなかったのだ。

今までやってこなかったようなこと。
今まで考えもしなかったようなこと。
そういったことをムリヤリにでもしていき、
自分を変えない限り、
最低な職場から始まった負のループから
いつまでも抜け出すことができない。

僕は考え方をハッキリと変えた。
でもたぶん、こうならなければ変わらなかった。

☆それから始めたこと
まず、僕はカウンセリングにいった。
「自分の精神的な弱点を客観的に見て、直す」必要があると思ったのだ。
それが面接の練習よりもはるかに重要だと思っていた。
とあるカウンセラーさんの心理学講座に春先から通っていたので、
そのあたりへの理解もあった。

人間には、これまでの人生で培われてきた「思い癖」というものがある。
たとえば、幼少期に握手したら、そのまま逆の手で殴られ続けた人がいるとする。
その人はそういう経験をずっとしてきたので、
「握手」と「殴られる」がイコールの事象になる。
だから、握手を求められても必死にそれを拒否してしまう。
ふつうに握手しようとした人は、
「なんだコイツ? ヘンな奴だな」と思う。
結局、「握手して殴られた」という経験が、
他人の反応と「ヘンな奴」という評価を意図せず作り出してしまうのだ。
だから、その人はどこにいてもヘンな対応をされるし、
「ヘンな奴」と言われ続ける。
本人にとっては、それがふつうになってしまうので、
最終的に本人も「自分はヘンな奴だ」と自覚してしまう。
自分自身まで飲み込まれてしまうということになる。

これが、
「押しつけがましいことを言われるとなぜか怒って拒否する」
「多人数の意見がAになるとなぜかBを選択したくなる」
「異性のやることがなぜか気にくわずに反対してしまう」
等々、
もっとミニマムなところで数え切れないほど起こり、
人の性格やクセ、評価などを形成しているわけだ。

基本的に「よくわからないけど心がざわざわ、イライラする」
「別に相手は悪くないのに腹が立つ」のが
心が反応しているサインだそうで、
それらは人生に大きく影響すると言われるらしい。

僕はそのカウンセラーさんにカウンセリングを依頼。
自分というものを、心理学的観点から徹底的に見直した。

「思い癖」は、なくせる。
ただ、刷り込みに近いので、専門家クラスの人がやらない限りは難しい。
しかも、基本的に自分のトラウマと対面する必要があるから、
めっちゃキツい。しかもかなり高価だ。
でも、やろうと思ったし、
今はそれだけの価値があったと感じている。

10回ほど通ったところで、自分が少しだけ変化したような気がした。
というよりも、自分を理解できたというべきか。
「こういう時、こういう理由でイラつくんだな」とか
「こういう経験があるから自分はこういう反応をするんだな」とか
客観視できるようになったのだ。

簡単に書くと、僕は他者が不安を覚えた時、
それを積極的にキャッチして一緒に不安になる傾向にあるらしい。
ガキの頃、母に理不尽な理由で怒られる、という経験を
たくさんしてきたことによるそうだ。
(ただ、これは母親が悪いということではない)
「自分が何か悪いことをしたのかな」と思ってしまうらしいのだ。
そうすると不安になり、おかしなことを言ったりしてしまう。
それがケンカの原因になる、という構図だ。
誰かの不安が僕の不安に変わり、現実を変えているのである。

しかし、カウンセリングを続ける中で
不安との向き合い方がわかった。
その不安は、基本的に自分のものではない。
だから、自分が不安になる必要がない。
そう思えるようになればいいわけだ。
だが実際は無意識の「反射」に近い反応のため、
じっくりとこれを治す。
母に怒られた際の体験を何度も反芻し、
トラウマと向き合う。
何度も何度もやって、ようやく少し形になった。
僕の場合は、母が理不尽に怒ることが
単なる心配から来ているのだと心から理解したことが、
治癒に結びついたらしい。

後日、妻にそういうことを話したら、ある程度納得した。
「ただ、この先の生活で似たようなことが起きたら即離婚」という。
普段の僕ならそこでまた怒っていたかもしれないが、
この時はそういう気持ちにならなかった。
妻の不安が見てとれたのだ。
妻はそんな僕を見て
「アレ? なんかいつもと違う」と思ったそうだ。
自分の思い癖による現実の書き換えを防いだのだ。

完全に治ったとは思っていないが、
仕組みがわかって安心したし、
現在の妻とのやりとりでも役に立っている。

☆いい人たちとの出会い
障害を持った義父が亡くなったことにより
いろいろな問題がなくなり、東京進出が可能になった。
(皮肉なものだ)

僕は、都内にある自分の業種専門のエージェントに協力を依頼。
同業種での就職活動を始めた。
このエージェントがなかなかいいところで、
最初の面談で「この経歴なら、100%キャリアアップできます」と言ってくれた。
春先のクソエージェントとはエラい違いである。
おかげで転職活動に前向きになれた。

また、同時期に職安でめちゃくちゃ自分に合った職員さんに出会え、
その人と共に職務経歴書や履歴書などを徹底的に見直した。
「自分のウリ」はどんなものか?
どう見せれば読みやすいか?
書いてあることに嘘はないか?
そういったことをかなり小さいところまでこだわって作り直した。
また、面接の受け答えも、自分なりのテンプレを作った。
嘘は言わず、かといって自分を誇示せず、
本音をしっかり出し切るという方針。
そうでないと意味がない。
ムリして入った会社でやることは、
すべてムリになってしまうのだから。

ようやく「まともに動き出した」と思えた。

今思うと、群馬での転職活動そのものに少しムリがあったのかもしれない。
職安の対応は前回の就職活動でもかなりヒドかったが、
今回はこの職員さんに救われた。
職安という場所は、マイナスの感情が集う場所なので
職員の人たちも自分を保つのが難しいのだろう。
そんな中で明るくいられる職員さんというものが
どれだけの数の人を救っているのかは、計り知れない。

☆転職活動、本当の意味でのスタート
11月中旬から、都内企業の書類審査を受け始める。
そこそこ落ちる。
大卒だとか○○の分野の経験がないと、とかそんな理由だ。
はっきり言ってそれで落ちるのは仕方ないので、さあ次だ、と考える。

11月末、面接を受け出す。
高崎から都内まで電車。始発なので気楽だ。
企業研究を一社一社、めちゃくちゃ丁寧にやり、
想定される質問の答えをまとめて
毎日車の中で練習。
そのおかげで面接に大きな緊張はなかった。
また、これまでの業種違いの面接とは違い、
面接官がきちんと自分を評価してくれて嬉しかった。
「ここで仕事したら楽しそうだなあ」と思える会社にも出会えた。

もちろん、失敗もする。
ある企業では面接は問題なくやれたものの、
作文の筆記試験がまるで書けずということもあった。
自分が全く興味のないジャンルがテーマだったのだ。
モノ書きを名乗っていながら作文が書けない。
これはかなりの屈辱であった。
もちろん、すぐに落ちた。

しかし、面接で想定外の質問をされた際には
意外なことに、考えてもなかったことをバンバン言える。
「なんか、自分の底力が出ているなあ」と思えた。
これまでの社会人経験がそうさせてくれたのだろう。

最初に受けた企業の受けがよく、
なんと最終面接までこぎつける。

☆いい感じで過ごす年末
そこからは面接を受け、家では求人を見て、という生活。
12月中旬、最初の最終面接。
がっつり作り込んだ企画書まで持ち込んだが、
「雑誌の経験がある人が欲しかった」などという理由で落ちる。
最初から受かる見込みはなかったわけだ。
3時間近い面接時間が無駄になったと思ったが、
職安の人に「あちらもそれだけ興味があったってことですよね」と言われる。

12月下旬、求人の流れが止まり、年内の就職活動は終了した。
この時点で書類選考が30社くらい。面接が10社(14、5回)くらい。
すべて落ちた。

しかし僕が失意のまま過ごしたかというと、そうでもなかった。
むしろ、なぜか心が落ち着いていた。
「無職で年末か。10年前と同じだなあ」と楽しむ余裕すらあった。
きっと、やるべきことをしていたからだと思う。
その上で2次、最終面接まで進んだ企業もあったわけだから、
奇妙な充実感、満足感すらあった。
就活はマッチングだから、条件が合うところに合うまでやろう。
そう思って年末は好きに過ごした。

その姿を見て義母が「たぶん、すぐ決まるわ」と妻に言ったらしい。
きっと落ち着いて見えたのだと思う。

☆年末年始にピンと来る
年末にある本に出会う。
前回の記事でも書いた
「自律神経を整える 人生で一番役に立つ『言い方』」だ。
僕はこれまで、人前で長く話すのが苦手だと思っていた。
いつも、頑張って話すものの
途中で自分がなにを言っているのかわからなくなり、
話が意味不明になったり、終わってしまったり、という
経験を何度もしてきたのだ。
記者は基本的に、質問して話を聞く職業だから
聞く能力が問われることはあっても
自発的に話すスキルが大きく重要になることはなかった。
(ふつうのコミュニケーション能力があれば問題ない)
面接ではガッツリ自分のことを話さなくてはならず
そこに苦手意識みたいなものがあった。

しかし、この本を読んで
「自分の話すスピードが、思考スピードに比べて早すぎるのだ」と気づいた。
試しに、職安の職業相談の際に意識してゆっくりと話してみると
「すごく論理的にお話をされるんですねえ」と言われる。
そんなこと初めて言われた。

僕は今までの人生、ずーーーっと
話をするスピードを間違えてきたのだ。
これが、今回の転職活動について一番の突破口になった。

年始、2社の面接を受ける。
面接は、前述の会話スピードの件もあり、非常にうまくいった。
「なんか、落ち着いてらっしゃいますねえ」
「話が上手ですねえ」と言われて嬉しかった。
2社とも「なんか、縁がありそうな会社だなあ」と思っていた。
これがなんと、両方とも最終面接まで進んだ。

☆最終面接
1月末、2日連続での最終面接。
不思議と心は落ち着いていた。
しかし1社目では、最後の最後に社長がやってきて
なかなかひどい圧迫面接を始めた。
人間を信じていない顔で、あまり会話にならなかった。
どうやら僕が元々いた業種の人間に不信感があるようだ。
2時間くらいの面接の、ラスト10分くらいだったか。
たぶんすべてが無駄になった瞬間だった。

僕はかなり落ち込んだ。
「でも、仕事内容に魅力はあるから、受かったら行こう」と思った。

2社目。
こちらは、例のエージェントではなく、
自分でインターネットを見て探し、応募した企業。
質問はほとんどが待遇の話。
面接というよりは面談に近いものだった。

いろいろと話してみて、
「自分はけっこうこの会社と合っているかもしれない」と直感する。
帰り際、担当の方から
「あまり大きな声では言えないけど、ご縁、あると思います」
と言われる。
父親が転職する際、これで落ちたと聞いたことがあるので
逆に不安になるも、ある程度期待しつつ帰る。

☆その後に心がけていたこと
僕はその後も書類審査を受け続けた。
前回、最終まで残った際
「これで受かるかもしれないし」と活動を一回やめてしまい、
落ちた結果強いショックを受けてしまったからだ。
(我ながらバカだが、転職活動はしんどかったので)
「なぜ最終試験までいけたのか」を考えた時、
やはりそれは「毎日求人をチェックし、企業研究をしっかりやったから」であり、
僕はそれを続けるべきだと感じた。

人生においてもそうだと思った。
ちょっとした成功に浮かれて努力を怠ったら、
待っているのは没落だ。
なぜその成功を掴めたのかを考えて、
それを続けていかなければと思う。

☆完結
大きな変化を意味する「スーパーブラッドブルームーン」の翌日、
電話が来た。
1社目は不合格。
「あの社長のせいだ」と思うも、
その社長の元で働くかどうかの話なので、仕方がない。
だが、なんだかんだで落ち込む。
妻もかなり不安になったそうで、ちょっとしたことでケンカになる。
「最悪だ!」と思った矢先。

夜に電話が来て、2社目のほうの内定を頂く。

雪が振っていたが、外に出て大いに喜んだ。
あんなに喜んだのは10年ぶりくらいだったかもしれない。
(専門学校のコンクールでの入選以来)
いろんなものが報われた瞬間だった。

☆いま、思うこと
僕は思う。
離婚騒動だとか、
「転職辞めた方がいい」と言われたことだとか、
ヒドいことを前職の人に言われたことだとか。
ここに至るまでの道程が、すべてプロセスだったと。

仮に10月、11月の自分が、今回受かった会社を受けたとしよう。
たぶん、落ちていたと思う。
なぜなら、その当時の自分だったら焦るシーンや、
もしかしたら失敗につながったかもしれないシーンが
いくつかあったからだ。
それらを乗り越えられた1月の自分だったから、
この結果になったのだと思う。

そして、転職・就職はマッチングが全てだとも思う。
頑張っていい会社に受かるのではなくて、
自分に合った場所に出会うのが目的。
そういう場所に出会った時、
「自分と御社は相性バッチシですよ」と
しっかり伝えるために、
自分のことを分析して言えるようにしておく。
そういうものだと感じた。
そう考えれば落ちてもダメージは少なくて済むし、
次に向かっていく原動力にもなる。

もちろん、しんどかった。
マジでしんどかった。
でも、僕はそういうことを学べたなあと思うのだ。

また、前職の会社についても、思うことがある。
なぜ僕は、誹謗中傷の件でめちゃくちゃ怒ったのだろうか。
もちろん、ふつう怒るだろう。
覚えのない罪を被せられて、非常にムカついた。

でも、なぜムカついたのか?
そういうことを深く考えていくと、
自分は、あの会社が好きだったのだということに気づく。
あれだけ書いておきながら、
僕はあの会社の仕事が好きだった。
だったら続けろよと思うかもしれない。
でも体力的に、金銭的に、精神的にできなかった。
だって最初の1日から居心地が悪かったんだから。
それでも、2年以上も粘ったのだ。
だから好きだったのだ。
好きだったのに、あんなことを言われたから、怒ったのだ。

そして、その怒りがあったから、
その後のいろんな感情に結びつき、ここまで来られた。
だから正直言って、とても感謝している。
皮肉で言っているのではなく、マジでそう思う。
もちろん転職先が決まった今だからこう思うのだろうし、
もう会いたくない人の方が多いし、
もう某新聞は一生取らないと決めている。
でも、感謝している。

長くなったがこれで終わりである。
9000文字近くなってしまった。
やはり、濃い期間だった。

これから先、どうなっていくかはわからない。
でも、この先の人生で今回得たことが
きっと大きく役に立つだろう。
だからこそ思う。
転職活動、やってよかった。

by nakayu1105 | 2018-02-17 22:52 | Comments(0)

日頃あったことだとか、ゲームの感想だとか、そういうものを積み重ねていくブログです。 書いてる人/nky(ナカユウ・んきゅ)


by nakayu1105