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しあわせのかたち

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幸福について、近頃よく考える。
人の幸福とは何か。
それは、「やったぜ」とか「ありがとう」と、嬉しくなる瞬間のことだと思う。
その人物が幸せかどうかは、それが今、周囲にどの程度あるのかによって決まると思う。

たとえば僕は、何かを作り上げると「よっしゃー」と嬉しくなる。
つまりこの状態は幸福なのである。
しかし、しばらくするとその「よっしゃー」は消える。
期間には差があるだろうが、幸福には賞味期限があるのだ。
これがない状態は、少なくとも精神的には幸せではない。
賞味期限切れになったら、次の幸福を探す。
まあ、また何かを作れば良いわけだが、毎回同じことを繰り返していると、
「よっしゃー」の度合いはだんだん薄くなっていく。
だからゲームをしたり、ギターを弾いたり、写真を撮ったり、配信したりする。
また、友達と遊んだり、飲んだりする。
時には仕事で頑張って褒められたりする。

幸福の度合いや賞味期限は、何をしたかによって変わる。
同じものを得続けると、効果が落ちる。
だから色んなことをして、色んな方法で幸福を得られるようにしておく。
そうすれば、何かが起きて、特定の場所での幸福が得られなくなっても、ダメージを減らすことができる。

一つのことに集中しすぎると、幸福が得にくくなった時に苦しいが、
おそらくはその度合い(リターン)も高まる。

結局、何が正しいかなんて論じる気はないが、
幸福は「欲求」とも言い換えられる。
つまりは、欲求を満たすことこそが幸福とも言える。

だが重要なのは、「自分にとってそれが幸福かどうか」を知ることだ。
おそらくその答えは「常識」みたいなものと別の、その人だけの場所にある。

何が自分の欲求なのか理解せず、周囲の人の真似をするように満たそうとしても、
それは「ある程度」でしかなく、本当に自分が得たかったものかどうかは判別できない。

何を成したいのかを熟考、理解し
それを追い求め、最終的に得る。

このサイクルをありとあらゆる方向から行いやすくなっている状態こそが、幸福だということになる。

このサイクルがうまく回らないと、人間はおかしくなっていくと思う。
最近考えているのは、「自分の幸福のサイクル」を最優先できているか?だ。
正直、僕からすればそれは生まれてきた意味に近く、
何より優先すべきことだと思う。

ただ、これは単に利己的になれ、ということではない。
自身の幸福の中に、他者を助けたり、喜ばせることも入り得るからだ。
他者を助けることで自分が心から幸福になるのなら、いくらでもやるべきなのである。
問題は、その答えが常識によって見えなくなること。
判断基準が「自分」でなく、「常識」とか「社会」になること。
これは、自分がそういったものによって曲げられている状態であることを意味する。
常識、社会というものはどこまで行っても「よそもの」である。
自分とは別物なのである。
そんなものに合わせても、きっと本当の幸福は得られないだろう。
仮に社会や常識の中に幸福があるのだとしても、
それは自分がそうだと心から判断して、初めて幸福足りえる。

繰り返しになるが、そうやって自分自身で選び取ったものをしっかりと得る。
これが幸福ってことなんじゃないかと思うのだ。

ナカユウです。
僕は、自己犠牲的な行動をしている奴がカッコいい、みたいな価値観がとても嫌いだ。
だから、それを正義とする場所にいるのは避けるようにしている。
その人が本当にそれを幸福としているのならいいのだが、
見ていて、そうではないパターンがほとんどだ。
それは決して賞賛するようなことじゃない。
単に自分のことを理解せず、ただただ犠牲になっているだけなのだから。

◾️ジム
8月頭から、ジムに行き出した。
健康診断で引っかかり、色々と対処法を考えてはみたものの、
運動はまだしも、筋トレは本当に面白くない。
結局のところ強制力が働かなければ、続かないと結論づけた。

そこで「水泳でなんとかならんか」と駅前のジムを見学したのだが、
筋トレルームみたいなものを見て、「楽しそうだな…」と感じ、こちらを契約。
既に契約から一ヶ月半。だいたい週に1度のペースで通い続けている。

僕はいつも運動を始めると、楽しくなってきた頃に無理をして怪我をし、
最終的にそれが原因で習慣が終わることがほとんど。
今回はそうならないように、「八分目」をテーマに運動している。

機械での筋トレは、自重トレーニングよりも負担が少なくできるので、
割と自分で調整しやすい。
ガチャガチャやるのがおもしろい。
また、その後行うルームランナーでのウォーキングも、結構楽しい。
一見、景色が変わらないからつまらなさそうだと思うかもしれないが、「目が閉じられる」のである。
妄想に耽りつつ、ひたすら歩くことに没頭できる。
まあこれは普通に危ないと思うのだが、
ルームランナーなら事故率は極めて低い。
大空スバルの「おはスバ」を聴きながら、これを黙々とこなす。
1時間程度でフィニッシュだ。

そんなわけで結構楽しくやっている。
結果、どうかというと明らかに体力がついたし、体の調子も良い。
体も気持ち、モリッとした。
通勤電車が明らかにラクになった気がする。

やはり運動は大切なのだと、10年越しくらいに実感している次第である。

筋肉ムキムキになりたい訳ではないけど、
今後もずっと続けたい。
ちょっと高いのだけがネックだ。


◾️エルデンリング
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8月頭から「エルデンリング」を遊んでいる。
「SEKIRO」をプレイしていた頃から
多くの人に勧められていた本作。
満を持して遊び始めた。

序盤は困惑しっぱなしだったが
一ヶ月遊んで、なんとなく把握。
「SEKIRO」と比べてしまうと、あらゆる点において劣るとは思うが
(好きな人ごめんなさいね)
普通に面白い作品だと思う。
この作品が国産であることを、心から誇りに思う。
ファミコン時代、記号的だからこそできた異常なほど壮大なRPGを、
この作品はとにかく等身大かつリアルに描こうとしているように感じられる。
(ハイドライド3とかウルティマとか、あの辺)

ただ、あまりにも説明不足なイベント周りだけは
個人的にかなりイマイチ。
この作品は、イベントなんてやりたければやってください、程度で
「とにかく探索してね。いろいろ試してね」という、とてもとても強い思いを遊んでいてひしひしと感じる。
まあそういうゲームだということなのだろう。
ただ、SEKIROと違うのはそれらをスルーすると、
装備などの関係で極端に不利になることがあることだ。
探索をかなり真面目にやらないと、敵を倒すのにとことん苦労する。

まだクリアしていないので、結論じみたことは書きたくないが、
このストロングスタイルが僕自身に合うかどうか、はぜんぜん別軸の話なのである。

ただ、敵が強いのはとても良い。
歯応えがありすぎて顎関節症を起こしかけているレベルではあるが、
すでにプレイ時間は70時間。
終わったら改めてレビューしたい。

■ナイトミュージアム
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「MYSTERY OF TUTANKHAMEN」というイベントに行ってきた。
夜間に展示物を見られるという、
いわゆる「ナイトミュージアム」である。

今回誘われて行ってきたのは「ツタンカーメン」がテーマの展示。
ただし展示といっても、展示物は全てレプリカである。

集合時間に受付をするとカンテラを手渡され、
真っ暗な展示室を練り歩きながら、ミッション(?)をクリアしていく形式。
趣としてはリアル脱出ゲームが近いかもしれない。
カンテラを持って暗闇を歩く感覚は、ダンジョン探索っぽくて新鮮。
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僕は、古代エジプト文明にほとんど興味がない。
むしろ盗掘と呪いのイメージが強く、とてもバチ当たりなイベントだとすら思う。
エジプト人ではなくイギリス人が見つけた、というのも
なんだかすごく冒涜的な感じがする。

心なしか、暗闇に浮かび上がる展示物たちは、とても不気味であった。
でもこの展示物たちは、さっきも書いたが偽物なのである。
ここまでくると、雰囲気を味わうための一種のテーマパークと言える。
ならいいか、という感じである。


誰もが幸せへの道を歩き続ける。
だからこそ、有限なものを得ようとするとどうしても無理が出てくる。
競争するのではなく、自分なりに道を模索する方がきっと建設的だろう。

by nakayu1105 | 2025-09-29 00:05 | Comments(0)

日頃あったことだとか、ゲームの感想だとか、そういうものを積み重ねていくブログです。 書いてる人/nky(ナカユウ・んきゅ)


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